前原誠司のwiki学歴・経歴!京大卒で松下政経出身のエリートだった!思想や世間からの評判は?

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日本の政治家であり、国民民主党所属である「前原誠司」さん。

今回は、前原誠司さんの学歴・経歴を調べてみました!

また、前原誠司さんの出身である松下政経塾とはいったい何なのか?

前原誠司さんが持つ思想や世間の声はどうなのか?

その辺りのことも詳しく見ていこうと思います!

目次

前原誠司のwiki風プロフィール

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首相官邸ホームページ, CC 表示 4.0, リンクによる

プロフィール
  • 名前:前原 誠司(まえはら せいじ)
  • 生年月日:1962年4月30日
  • 年齢:2023年現在61歳
  • 出身地:京都府京都市左京区
  • 職業:政治家
  • 役職:教育無償化を実現する会代表
  • 座右の銘:至誠 天命に生きる
  • 趣味:SLの写真撮影・野球・ドライブ
  • 今の夢:日本に誇りが持て、他国からも尊敬される国に立て直す

京都府生まれの前原氏ですが、両親の出身は鳥取県との事です。

そのため、前原氏は

「根っからの京都の人というのは三代百年住んでいないとなかなか認めてくれないんです。昔の人から言うと、入り人になります」

と語っていました。

学生時代は小学校から大学まで『京都』で学びます。

大学生時代は『漠然とした考えで政治家になろう』として思っていたそうです。

しかし大学時代の恩師である『高坂正堯』から助言を受けて『松下政経塾』へと進みます。

その後は政界に参入、京都県議員を経て国会議員となります。

前原誠司の学歴まとめ!出身高校・大学はどこ?学生時代のエピソードは?

 

  • 小学校:京都市立修学院小学校
  • 中学校:京都教育大学教育学部付属京都中学校
  • 高校:京都教育大学教育学部付属高等学校
  • 大学:京都大学法学部

上述にもありますが、前原氏は小学校から大学まで京都で学びます。

前原氏の学生時代について調査してみると『面白いエピソード』がたくさんありました。

各時代に分けて詳しく見てみようと思います。

前原誠司は京都市立修学院小学校出身で『失踪事件』を起こしていた!?

前原氏は京都市立修学院小学校を卒業しています。

京都市立修学院小学校は1916年に創立された公立小学校です。

前原氏は幼少期から列車に乗って両親実家の墓参りなどに行っていたのがきっかけで『自然』『鉄道』が好きになったそうです。

そんな前原氏ですが、電車が好きすぎて『小学校5,6年のときに失踪事件』を起こしたそうです!!

前原誠司が小学生時代に起こした失踪事件

当時、米子(鳥取県)に暮らしていたおじさんたちの家に向かうため、1人で境線で向かうことになったそうです。

しかし、迎えに来ているおじさんたちのところに予定時間になっても来ない…

これにより大騒ぎに…

電車大好き前原少年は『米子駅に降りず、そのまま玉造温泉までSL交換をするダイヤを調べて向かった』そうです。

そしてSLを撮影してから境港まで戻り、結局約4時間遅れでおじさんたちのところについたそうです。

心配を他所にSLを撮影していた前原少年は、こっぴどく怒られたんだとか。

 

小学生時代からなかなかの行動力ですね(笑)

この行動力が現在の前原氏の『決断力』になっているかもしれませんね。

京都市立修学院小学校

  • 名前:京都市立修学院小学校
  • 住所:京都府京都市左京区修学院沖殿町1
  • 設立:1916年
  • 種別:公立・男女共学

前原誠司は京都教育大学付属京都中学校時代に『父親』が亡くなってしまう…

前原氏は中学受験し、『私立・東大寺学園中学校』と『国立・京都教育大学附属京都中学校』に合格します。

『男子校』である『私立・東大寺学園中学校が進学希望だったそうですが

『家計事情』により『国立・京都教育大学附属京都中学校』へ進学しました。

ちなみに京都教育大学付属京都中学校の偏差値は現在70となっています。

そんな超エリートの前原氏ですが

中学2年生の時、京都家庭裁判所で働いていた父親を自殺で亡くしています。

そのため、母子家庭となってしまって苦労したそうです。

しかし、学校での生活ではバスケットボール部に在籍し、順風満帆な中学生時代を過ごしたようです。

京都教育大学附属京都中学校

  • 名前:京都教育大学附属京都中学校
  • 住所:京都市北区小山南大野町1
  • 設立:1882年
  • 種別:国立・男女共学

前原誠司は京都教育大学付属高校に進学し奨学金を受け勉強に励んでいた!

前原氏は、京都教育大学付属高校へと進学します。

中高一貫の学校になっているため『内部進学』という形で進学しているようです。

ちなみに京都教育大学付属高校の偏差値は69』となっています。

この学校は、昔から進学校として知られており、政財界にも多数の人材を輩出しています。

中学時代にバスケットボール部に所属していた前原氏ですが、高校時代は野球部に所属していたそうです。

また前原氏が高校時代から『奨学金』を受けて勉強に励んでいたそうです。

高校時代も熱心に勉強へ取り組んだ前原氏ですが、特に数学が得意でした!!

高校卒業後は『京都大学法学部』に進学しますが、

『法学部』に決めたのは、家庭裁判所に勤めていた父親の法律本が大量にあったことがきっかけだそうです。

ただ、受験は失敗

1年の浪人生活を経て、京都大学法学部に進学されます。

京都教育大学附属京都高校

  • 名前:京都教育大学附属京都高校
  • 住所:京都市北区小山南大野町1
  • 設立:1882年
  • 種別:国立・男女共学

前原誠司は京都大学法学部に進学し恩師に出会う!

前原氏は京都大学では難関と言われる法学部へと進学します。

偏差値は67~73京都大学では最も高い数値となります。

大学時代には『学費等』のために様々なアルバイトを掛け持ちしており、寝ずに働いていたそうです、

ちなみに『バスの添乗員』『魚の卸売市場』『喫茶店のウェイター』『塾の講師』などをしていたとの事です。

大学では恩師である『高坂正堯』に出会い『国際政治学』を学びます。

前原氏は浪人時代に『高坂正堯の著書を読んで惹かれた』と語っています。

『高坂正堯の著書』が京都大学への進学を強く希望した理由の一つかもしれませんね。

卒業時には『外交官の道を行くか』『進学するか』『政治家の道に行くか』を迷っていたそうです。

政治家の道に決断したのは『恩師・高坂正堯のアドバイス』でした。

その際に『山田宏を紹介するから』という助言を受け

高坂正堯氏の紹介によって『松下政経塾』へ入塾を決断しました。

京都大学

  • 名前:京都大学
  • 住所: 京都府京都市左京区吉田本町36-1
  • 設立: 1897年
  • 法学部設立:1919年
  • 種別:国立

前原誠司は松下政経塾の出身だった!松下政経塾とは何?

前原氏が入塾した『松下政経塾』の卒業生には多くの国会議員が存在します。

それだけでなく『経営者』『教育者』『研究者』など様々な分野で活躍する人材を輩出しているようです。

『松下政経塾』はどの様な所なのかを調査してみました

松下政経塾とは

  • パナソニック創業者・松下幸之助が設立した『未来のリーダーを育成する公益財団法人』
  • 「物と心の繁栄を通じて、平和で幸福な社会を実現したい」と願う強い想いで設立
  • 『理想の社会』の有るべき姿『リーダーに求められるもの』を自修自得・現地現場の研修方針のもと、自ら研修を組み立てて活動

引用:松下政経塾HP

松下政経塾は『未来の社会』のために『各分野で活躍できるリーダーを育てる』ところのようです。

前原氏は『松下政経塾の8期生』として入塾されます。

高坂正堯氏から紹介を受けた山田宏氏によると前原氏は『当時から凄まじい野心だった』そうです。

前原氏は入塾時から「外務大臣になって国の役に立ちたい」と語っていたそうです。

前原誠司の経歴まとめ!

経歴

前原誠司の主な経歴まとめ

  • 1991年:京都府議会議員に当時最年少で当選
  • 1993年:第40回衆議院議員総選挙当選【日本新党】
  • 1996年:第41回衆議院銀総選挙当選【民主党】※47回まで民主党から出馬し当選
  • 2002年:第二期民主党をつくる有志の会結成
  • 2005年:民主党代表(辞任)
  • 2007年:民主党副代表
  • 2009年:国土交通大臣・沖縄及び北方対策担当大臣・防災担当大臣(鳩山内閣)
  • 2010年:国土交通大臣・沖縄及び北方対策担当大臣(菅内閣)
  • 2010年:外務大臣(菅改造内閣)
  • 2011年:民主党政策調査会長
  • 2012年:国家戦略・経済財政担当大臣・内閣府特命担当大臣(野田第3次改造内閣)
  • 2017年:第48回衆議院銀総選挙当選【無所属】
  • 2017年:民進党代表
  • 2018年:国民民主党入党
  • 2020年:国民民主党代表代行
  • 2021年:第48回衆議院銀総選挙当選【国民民主党】
  • 2023年:教育無償化を実現する会結成

前原氏は1991年に『松下政経塾』を卒業後、京都市議会議員選挙に出馬し『最年少』で当選します。

1993年には衆議院選挙に当選し、国政デビューを果たします。

以降、現在まで連続で衆議院選挙に当選しています。

その後、民主党へ入党、2002年には同じ党内の看板である『鳩山氏・菅氏』に危機感を覚え

第二期民主党をつくる有志の会を結成し世代交代を狙ったそうです。

2005年には『民主党代表に就任、一度辞任しますが

その後『民主党副代表』となります。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党が政権交代、

前原氏は『国土交通大臣として入閣します。

そして2010年には自身の目標であった『外務大臣』となります。

2017年からは『民進党』に所属し『代表』を努めます。

しかし『民進党』の内部分裂により『希望の党』へ入党、

その後『民進党と希望の党が合併』する形で『国民民主党』となります。

2020年には『代表代行』となりますが

2022年に玉木雄一郎代表と政治に対する考え方で対立します。

2023年11月30日に国民民主党を離党、

教育無償化を実現する会を結成し、自らが代表となりました。

前原誠司が掲げる政策や思想は?

前原さんが掲げる政策や思想

  • 日本の政治体制の改革 ~一党支配から、二大政党制へ~
  • 次世代に負担のない国家運営(財政赤字の解消・人口減少の対策・少子高齢化の対策・不況、雇用難の対応)

前原氏が掲げる政策や思想は大きく分けて、上記となっています。

また、目指す国家像は「尊厳ある国家」だそうです。

  • 外交・安全保障…自立と協調(アメリカを中心に他国と協調。ただし、自分の国は自分で守る)
  • 経済…外に開かれた国家(通商貿易を拡大。対日投資を促進)
  • 内政…住民参加型分権社会(地方主権を促進。国の役割は外交・安全保障、マクロ経済調整、教育、福祉に限定)

日本の『尊厳』を守るため『国内政治』だけでなく『外交』『経済』に力を入れているようです。

そして、「京都への思い」としての政策も掲げていらっしゃいます。

  • 「5000万人観光都市・京都」の実現を目指します(特に外国人観光客の誘致に取り組む)
  • 京都の大学研究の活性化(研究者が活躍しやすい環境を整え、国際的に活躍する研究者を育成)
  • 京都にある文化財の保護(世界に誇るべき日本の文化の保護に力を入れる)
  • 京都の先駆的な学校運営方式をPR(保護者・地域住民が共同で運営するコミュニティースクールを全国に広める)

前原誠司に対するSNSでの評価は?

前原誠司さんに対する世間の評価はどうなのでしょうか?

まずは、今回の離党についてのコメントから抜粋。

今回の離党に対しては『党内の問題がスッキリした』といった内容の意見が多く見られました。

しかし、『前原氏のこれまでの経歴や活動』から『今後の活動への期待』『これまでの評価』が多く見られました。

1993年の衆議院初当選から今まで連続で当選しているということからも

多くの支持をえている』というのは明白ですね!

新党での活躍に期待です!!

まとめ

今回は、『前原誠司氏の学歴・経歴』『掲げる政策や評価』を調べてみました。

前原氏の経歴から『政治家だけでなく国民からも多く支持を受けている』という事がわかりました。

今回の離党により『党内の問題』もスッキリしたと思われます。

『国民民主党』『教育無償化を実現する会』ともに期待ですね!

最後までご覧いただきありがとうございました!

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