政治家歴36年とその道のプロとも言える、自民党衆議院議員の『谷川弥一』をご存じでしょうか?
2023年12月11日現在で、自民党の裏金問題がニュースやSNS上などで何かと話題になっています。
そんな谷川弥一議員ですが、裏金問題に対しての発言が炎上しているようで注目を集めているようなのです。
一体どんな方なのか気になっている方も多いのではないでしょうか?
今回は「谷川弥一の学歴・経歴」について深掘りしていきます。
谷川弥一のwiki風プロフィール
谷川やいち事務所 – , CC 表示-継承 3.0, リンクによる
- 名前:谷川弥一 (たにがわやいち)
- 生年月日:1941年8月12日
- 年齢:82歳 (2023年12月現在)
- 出身:長崎県五島市岐宿町
- 職業:衆議院議員
- 所属:自民党(安倍派)
- 趣味:囲碁(3段)、読書、ウォーキング
- 前職:長崎県議会議員、建設会社社長
1941年8月12日に谷川弥一議員は、長崎県五島市岐宿町で生まれます。
谷川弥一議員の実家は五島市で『製材業』を営む家庭だったようです。
高校を卒業してからは家業の製材所に就職し、その後『自身の会社』を設立しています。
現在は政治家として活動していますが『前職はまったく別のお仕事』をしていたようです。
政治家として活動を開始したのは『1987年』となります。
長崎県議会議員に立候補し初当選し活動を開始しました。
長崎県議会議員を経て『自由民主党公認候補』として衆議院選挙に初出馬、
初当選以降、6度の当選をしている大ベテラン議員と言われております。
谷川弥一の学歴まとめ!最終学歴は高校で大学に進学していない?
【谷川弥一の学歴まとめ】
- 中学校:岐宿町立岐宿中学校(現:五島市立岐宿中学校)
- 高校:長崎県立長崎東高等学校
- 大学:大学に進学していない
谷川弥一議員の学歴について調査してみると
『大学には進学していない』と公表されていることがわかりました。
そのため『中学・高校』について詳しく見ていきたいと思います!
谷川弥一は岐宿町立岐宿中学校の卒業生!
谷川弥一議員の出身中学校は、岐宿町立岐宿中学校と判明しています。
岐宿町立岐宿中学校は1977年に3つの中学校が合併し『五島市立岐宿中学校』となっています。
また岐宿中学校は小学校と併設されているそうです。
そのため、出身小学校は『岐宿町立岐宿小学校』ではないかと言われています。
岐宿町立岐宿中学校
- 旧学校名:岐宿町立岐宿中学校
- 現学校名五島市立岐宿中学校
- 住所: 長崎県五島市岐宿町楠原544
- 設立:1947年
- 合併:1977年
- 種別:公立・男女共学
谷川弥一は長崎県立長崎東高等学校の卒業生!
谷川弥一議員の出身高校は、長崎県立長崎東高等学校と分かっています。
長崎県立長崎東高等学校の『偏差値は64』と言われております。
五島市は本州ではなく『島』のため、本州にある長崎県立長崎東高等学校に通学するには『船』が必須です。
そのため高校進学と同時に『下宿』を開始します。
親元を離れたことで『生活が一変した』と語っていました。
親元を離れ、孤独な下宿生活が始まる。
これまでの、わがままで自己主張ばかりに生きてきた生活も一変、
これまでの自分を律する機会に遭遇。
読書に没頭し自己を省みる大事な経験であった。
(引用:谷川弥一議員の公式HP)
長崎県立長崎東高等学校
- 学校名:長崎県立長崎東高等学校
- 住所:長崎県長崎市立山5丁目13−1
- 設立:1948年
- 種別:公立・男女共学・中高一貫
谷川弥一が大学進学をしなかったのは家業を継ぐため?
出身大学についても調査してみると『大学進学していない』事がわかりました。
政治家と言えば『有名大学の卒業生』のイメージ多いですが
高校卒業後は『家業である製材所・谷川商事』で働き始めたそうです。
その後、自身で会社を設立しているという経歴を考えると
当時の谷川弥一議員は『政治家になる事を考えていなかった』という可能性が高そうです、
谷川弥一は建設会社の経営者だった?経営していた会社はどんな会社?
上述にもありますが谷川弥一議員は高校卒業後、『製材所・谷川商事』で働き始めます。
その後、1971年(当時30歳)の時に『株式会社・谷川建設』を設立していることがわかりました。
『株式会社・谷川建設』は『谷川商事』の住宅部門から独立して設立した会社との事です。
長崎県長崎市に本社がある『谷川建設』ですが創業当時は『従業員合わせて4人』という小さな会社でした。
現在は長崎県を拠点に『年間約500棟を手がけるハウスメーカー』となっています。
1代でここまで業績を伸ばせたのは≈の経営者として敏腕だった証明ですね!
『株式会社 谷川建設』とは?
1971年に谷川弥一議員が設立した『株式会社・谷川建設』ですが
現在は谷川弥一議員の息子さん『谷川喜一氏』が代表取締役社長となっています。
創業時『4名』だった従業員は、2023年3月末には『468名』の社員がいるそうです。
会社の売り上げは『2022年11月期で237億円』という成長を遂げているようです。
谷川建設グループすべてを合わせると総売上300億円を超える企業となっています。驚きですね(゚д゚)!
谷川弥一議員の娘さんも『(株)T・G・F(谷川建設グループ)』の取締役に就任しているようです。
九州を地盤に広島や東京へも進出し、創業当時が4人とは思えないほど、発展が素晴らしいですね。
谷川弥一が経営者から政治家になった理由は?
『株式会社・谷川建設』として活躍していた谷川弥一議員ですが
『経営者時代の苦労』がきっかけで『政治家を目指した』ようです。
谷川弥一議員は経営者時代に下記のような『苦労』があったそうです。
会社の規模・知名度での偏見で、許認可問題等役所への怒りが累積。
不満やイライラが募る悔しさの絶頂期である。
当時はその悔しさをいつもバネにして生きていた。
きらきらと輝く自分の姿を胸に、一心に会社のために智慧を絞り、般若心経を唱えて気持ちを奮い立たせる。
その繰り返しの毎日であった。
(引用:谷川弥一議員の公式HP)
谷川弥一議員は会社のため一心不乱に経営を務め
その結果『会社の成長』『政治家の方や地元名士の方々との出会い』があったそうです。
『政治家の方や地元名士の方々との出会い』により
経営者として『地元五島・長崎や社会・政治への思い』を伝える機会が多くなったようですが
同時に『政治家と自分の考えや思いとの温度差』を感じたと語っています。
この『温度差』が政治家になる大きなきっかけとなったと語っています。
会社の成長とともに、当時の政治家の方や地元名士の方々との出会いもあり、
地元五島・長崎への思い、社会や政治への思いを熱く伝える機会も出来るようになる。
その反面、自分の考えや思いとの温度差があることも痛感する。
通常の自分の仕事が落ち着き、ゆとりや時間が出来始める。
この時間を社会のために有効活用するため自分は何が出来るのかを考えた。
そんな中いくつかの条件が重なり、政治家へなるという志を立てる。
(引用:谷川弥一議員の公式HP)
谷川弥一の政治家経歴まとめ!実績やエピソードは?
【谷川弥一経歴まとめ】
- 1987年4月:長崎県議会議員(連続5期)
- 2003年4月:長崎県議会議長
- 2003年11月:衆議院議員初当選
- 2007年8月:農林水産大臣政務官
- 2010年:自民党総務会副会長
- 2012年12月:文部科学副大臣
- 2016年1月:衆議院文部科学委員長
- 2019年9月:選挙対策委員会委員長代理
- 2019年10月:組織運動本部副本部長
谷川弥一議員は1987年長崎県議会議員に立候補し初当選.
長崎県議会議員を『5期連続』の17年間務めます。
2003年に長崎県から衆議院選挙に立候補し初当選を果たしています。
そこから更に谷川弥一議員は、農林水産大臣政務官・文部科学副大臣を経て、現在に至るようですね。
谷川弥一は衆議院選挙を7度当選しているベテラン議員だった!
2003年『元防衛庁長官・虎島和夫氏が選挙に不出馬』という事がきっかけで
谷川弥一議員は『後継者』となり、第43回衆議院議員選挙に出馬します。
初出馬で初当選した谷川弥一議員は以降『7回』当選しているベテラン議員となっています。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では自身の選挙区である『長崎3区』で敗れることになりますが
『比例九州ブロック』で復活し当選します。
更に『内閣』や『自民党内役職』としても活躍しています
谷川弥一の役職
- 2007年:農林水産大臣政務官
- 2010年:自民党総務副会長
- 2012年:文部科学副大臣
- 2016年:衆議院文部科学委員長
まとめ
ここまで「谷川弥一の学歴・経歴」についてご紹介してきました。
谷川弥一議員は、高卒で建設会社を創業され『政治とはあまり接点のない仕事していた』ことが判明しました。
その後『長崎県議を5期・衆議院議員に7期当選』など経営者としても政治家としてとても優れた方でしたね。
現在では自民党の裏金問題にて何かと話題になっておりますが、今後どうなっていくのでしょうか?
最後までお読みいただきありがとうございました。
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