鈴木宗男のwiki学歴・経歴まとめ!ロシアとの関係は?拓殖大学時代から議員秘書だった!世間からの評判は?

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現在、ロシアへ訪問したことでニュースに多く取り上げられている鈴木宗男さんが、

どのような人物なのか、現在の世間からの評判はどうなのかなどを

今回紹介したいと思います。

目次

鈴木宗男のwiki風プロフィール

Muneo Suzuki 20221201hyokei1.jpg
首相官邸ホームページ, CC 表示 4.0, リンクによる

  • 名前:鈴木宗男(すずき むねお)
  • 生年月日:1948年1月31日(75歳)
  • 出身地: 北海道中川郡西足寄村大誉地
  • 日課:ジョギング
  • 子ども:3人。内一人は自由民主党所属の衆議院議員の鈴木貴子さん

農家の両親の元に生まれ、学校がない日は牛や馬の面倒をみて畑仕事を手伝っていました。

修学旅行で初めて東京を訪れた時に、高層ビルや人の多さに都会と田舎の差に強い衝撃を受け、

この差を埋めることができるのは政治の力だと感じたそうです。

新人議員の頃から激情的傾向が強く、国会内でよく野次を飛ばしていた。

そのため「自民党の三大野次将軍」と呼ばれたこともありました。

独特なキャラクターから、朝生やバラエティー番組などテレビにもよく出演していました。

アメーバブログを主に活用しており、ブログにコメントを貰った人には個別に丁寧に返事をしています。

国民の意見を大切にされている方なのだと思いました。

また娘の鈴木貴子さんも国会議員として活躍しています。

仲が良く、おしどり親子として有名です。

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鈴木宗男の学歴まとめ!高校・大学はどこ?

  • 小学校:足寄町立大誉地小学校
  • 中学校:足寄町立足寄中学校
  • 高校:北海道立足寄高等学校
  • 大学:拓殖大学政経学部

鈴木宗男さんは3人兄弟の真ん中(兄と妹)として生まれました。

実家は農家をしていましたが、裕福ではなかったようです。

上述にもありますが、鈴木宗男さんも農業の手伝いをしていました。

高校卒業まで地元にいたことから、大学進学まで『農業の手伝いをしていた』可能性は高そうです。

鈴木宗男は足寄高等学校出身!偏差値は?

北海道立足寄高等学校は北海道の公立高校です。

高校は北海道足寄町にあり、偏差値は42となっています。

同じ学校の卒業生には、シンガーソングライターの松山千春さんがいます。

小学生の頃から野球を続けていて、高校も野球部に所属していたそうです。

また、実家の農業の手伝いがあったので、『毎日1、2時間のみ部活動をしていた』とのことでした。

運動神経が良く特に足が早かったようで『100mは11秒8』だそうです。

2009年に出場した東京マラソンでは、『3時間49分2秒で完走』をしています。

短距離も長距離も早いなんてすごいですよね!

鈴木宗男は拓殖大学政経学部出身!偏差値は?

拓殖大学は東京都文京区にある大学で、経済学部の偏差値は40です。

このことから『大学時代はひとり暮らし』だったと思われます。

鈴木宗男さんの実家はあまり裕福ではなかったため

1966年の大学進学の際、『お父さんが一頭の馬を売って大学費を作ってくれた』そうです。

しかし、大学2年生の時にお父さんが脳溢血で亡くなってしまい

苦しい生活の中送ってくれたお母さんからの仕送りや自身のアルバイトで学費を賄ったそうです。

また鈴木宗男さんは大学時代に衆議院議員の中川一郎さんの秘書も務めていました。

鈴木宗男の経歴まとめ!内閣で大臣を務めたエリート!

  • 1960年:衆議院議員の中川一郎氏の秘書
  • 1983年:衆議院議員初当選(35才)し、今日まで当選8回
  • 1989年:宇野・海部内閣で防衛政務次官に就任
  • 1997年:第2次橋本改造内閣に北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官。初入閣
  • 1998年:小渕内閣で内閣官房副長官に就任
  • 1999年:小渕内閣・森内閣で自民党総務局長に就任
  • 2009年:衆議院外務委員長に就任
  • 2019年:参議院議員通常選挙当選(全国比例区)9年ぶり国政復帰

鈴木宗男さんは中川一郎氏の秘書を経験した後、

1983年から政治家として活動し始めます。

1989年には6年目にして防衛政務次官に就任します。

鈴木宗男さんは自民党内の派閥には所属していなかったようですが、

1993年小渕派に加入しています。

1997年には49歳で橋本改造内閣に初入閣します。

1998年6月には現職閣僚として初めて国後、択捉両島を訪問しました。

また同年7月に発足した小渕内閣でも内閣官房副長官に就任します。

2002年のムネオハウスの建設に疑惑が出て、あっせん収賄容疑で逮捕をされます。

あっせん収賄容疑は2010年に『懲役2年の実刑、追徴金1100万円』が決定します。

さらに『刑期満了からの5年間の公民権停止』となり、2017年まで政治家としての活動ができなくなりました。

2017年、公民権が復活後、日本維新の会から立候補します。

第25回参議院議員通常選挙の比例代表で当選し、9年ぶりに復帰しました。

鈴木宗男はロシアとつながりがあった?ロシアとの関係性は?

鈴木宗男さんは北海道出身ということもあり『北方領土問題』解決のためロシアとの親交があったようです。

鈴木宗男さんとロシア(プーチン大統領)の初対面は2000年になります。

2009年には『鳩山首相が首相官邸で元駐日ロシア大使と北方領土問題で会談』をした際に同席

2010年にはロシアを訪問しモスクワのロシア外交アカデミーで講演をしています。

これらのエピソードから鈴木宗男さんは『日本とロシアの問題の解決』のために活動しているように見えます。

2023年10月、鈴木宗男さんの『無断でロシアへ訪問』『ロシアの勝利を100%確信していると発言』が問題になっていますが

日本とロシアの関係を保つため、鈴木宗男さんが考えた行動だったのかもしれませんね。

鈴木宗男に対する世間からの評判は?

世間からは、応援しているなど前向きな意見も多く見られました。

2023年、外務省の渡航中止勧告に反してロシアの外務省関係者や国会議員と会談を行ったことで、

世間では多くの批判の声があがっています。

岸田内閣政策では『対露制裁』『ウクライナ支援』『G7との連携』という政策を出していることから

批判がより強くなったのではないかと感じています。

結果的には、鈴木宗男さんは10月10日に離党届を提出しました。

ブログでは離党された理由をこのようにお話しされています

 私は日本維新の会の日露関係、外交についての考え方、歴史認識が違うと判断し離党届を提出した。

 私なりにこれまで政治家として国益を考え、対ロ外交就中、平和条約締結、北方領土解決に、

さらに元島民の想い、漁業者の切実な声を最優先し、働いて来た。

この点、考え方に差がある以上、しかも私のライフワークについて大きな隔へだたりがある以上、

自ら離党するのが賢明と考えた。

引用 https://ameblo.jp/muneo-suzuki/entry-12823992978.html

Xでは、このような意見ありました。

世間では、「結果はどうであれ行動力はすごい」など前向きな意見が多いように感じられました。

まとめ

今回、鈴木宗男さんについて調べて、日頃からブログでもロシアとウクライナについてお話をされていたり、

昔からロシアとの交流にずっと深く携わってきた方なのだと感じました。

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