自民党で祖父に内閣総理大臣を務めた政治家の孫でもある中曽根康隆さん。
今回は、中曾根康隆さんの学歴・経歴について調べてみました!
また、中曾根康隆さんの華々しい家族構成や、評判についても調べてみましたので、その辺りも詳しく書いていければなと思います!
ぜひ最後までご覧ください!
中曽根康隆のwiki風プロフィール
首相官邸 – https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/meibo/seimukan/nakasone_yasutaka.html, CC 表示 4.0, リンクによる
- 名前:中曽根 康隆(なかそね やすたか)
- 生年月日:1982年1月19日(42歳)
- 出身:東京都出身
- 家族:妻と双子(1男1女)
- 趣味:読書・ゴルフ・映画鑑賞
- 職業:衆議院議員
中曾根康隆さんは1982年に東京都に生まれます。
中曽根康隆さんの祖父は元総理大臣を務めた中曽根康弘さん、父は外務大臣などを歴任した中曽根弘文さんという
3代続けての政治家というサラブレッド一家ということになります!
中曽根康隆さんは慶応大学を卒業後、コロンビア大学・大学院に進学します。
卒業後は、JPモルガン証券に就職しています。
その後、父・ 中曽根弘文さんの秘書を努めた後、政治家として活動を開始します。
現在は衆議院として活動をしながら、群馬県前橋市で家族と暮らしているようです。
中曾根康隆の学歴まとめ!小学校から慶応大学付属校に通う超秀才だった!
- 幼稚園:松濤幼稚園
- 小学校:慶応義塾幼稚舎
- 中学校:慶応義塾普通部
- 高校:慶應義塾高等部
- 大学:慶應義塾大学・法学部
- 大学院:コロンビア大学
中曽根康隆さんの学歴について調査してみると『小学校から慶應義塾に通っていた』ということが分かりました。
『慶應義塾大学』と聞けば、『秀才・頭が良い』というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。
学歴について、詳しく見ていこうと思います。
松濤幼稚園の時代は球技大好きな男の子だった?
幼稚園は『松濤幼稚園』の出身です。東京都内でも高級住宅街となっている場所にあります。
松濤幼稚園は「御三家幼稚園」とも呼ばれているそうです。
当時の康隆少年は『同じマンションに住む幼馴染と通う幼稚園が大好き』だったと語っています。
幼馴染によると、康隆少年は『結構ずる賢くして生意気な方だった』とコメントしています。
また当時は『アンパンマン』や『球技』にハマっていたそうです。
幼稚園の頃はシャイだったらしいですが、友達と遊んだりすることは好きだったと語っています。
- 当時好きなものはボールを使った球技全般。あとはアンパンマン。
- 幼稚園が好きで毎日楽しみにしていた。同じマンションに住んでいた、今でも仲が良い幼馴染と毎日一緒に通っていた。
- 意志が強く頑固だが、みんなから愛されているちょっと危なかしい弟、息子、孫。(親戚談)
- 体は小さかった方だけど、体が大きい奴にも勇敢に立ち向かっていくような子。
結構ずる賢くして生意気な方だったかも!? (幼馴染談)引用:https://yasu-nakasone.com/#profile
慶應義塾幼稚舎の小学生時代には初恋をしていた!!
中曽根康隆さんが通っていた『慶応義塾幼稚舎』は日本では最も古い私立小学校と言われていますね!
中曾根康隆さんは『小学校時代にお世話になった先生が人生の師』と語っており、親以外では初めて人となりを教えてくれたみたいです。
卒業する際に先生から「大器晩成」という言葉を教えてもらい、今も大事にしているのだとか!
中曽根康隆さんのブログから『当時の康隆少年は様々なことに挑戦する男の子だった』ことが伺えます。
サッカーや野球、読書、ピアノ、トランペットと色々なことに熱中していたようです。
また、小学校4年生当時の康隆少年は『同じクラスの女の子に初恋をした』そうです。
シャイだった康隆少年は告白できず、結局何もなかったと語っています。
- 手塚治虫の「青いブリンク」というアニメがお気に入り。
- 妹と一緒に「セーラームーン」や「ひみつのアッコちゃん」も見ていた。
- 小学校の先生は、親以外の他人で初めて人となりを教えてくれた人生の師。
- 卒業の時に「大器晩成」という言葉をもらい、今でもそれを覚えている。
- 初恋は4年生。相手は同じクラスの子。
- 野球カードを集めたり、ベーゴマやメンコなどで友達と一緒に遊んでいた。
- 2年生から地元のサッカークラブに入っていて、サッカーを極めたいと思っていた。ポジションは右のミッドフィルダー。
- 野球も好きで5年生から野球部に入った。右投げ右打ち、ポジションはサード。
- 巨人ファン。全選手の応援歌をテープで繰り返し聴きながら覚えるのが趣味だった。
- 岡崎選手の背番号5番のユニフォームをパジャマにして寝ていた。一番好きだったのは川相選手。
- 野球は見るのもやるのも守備が好きだった。
- 習い事としては3年から中学までクラシックピアノを習っていた。小学校のブラスバンドではトランペットを吹いていた。
引用:https://yasu-nakasone.com/#profile
慶應義塾普通部では部活と勉強を両立させる天才だった?
中曾根康隆さんは慶應義塾普通部に進学します。
慶應義塾普通部に進学した理由として『女の子と一緒にいると緊張するから』と語っています。
しかし…入学3日目で後悔したそうです。いったい何があったのでしょうか…
中学時代はサッカー部に所属し、部活にすべて捧げていたため、勉強は意欲的ではなく、成績も普通だったそうです。
中学卒業後は慶應義塾高等部に進学していることから、『普通』といっても優秀であることがわかりますね。
サッカーに熱中していた康隆少年は部活前に食べる『吉野家の特盛牛丼』が大好きだったそうです。
- 吉野家の牛丼特盛りを買って学校に着いてから食べ、それから部活に臨むのが楽しかった。
- 中学時代は部活に全てを注いでいたのであまり勉強に対する意欲がなく、全体的に成績も普通だった。
- 女の子と一緒にいると緊張するので共学がイヤで男子校に入ったが、入学三日目で後悔した…。
引用:https://yasu-nakasone.com/#profile
慶應義塾高等部時代にはアメリカ留学をしていた!?
中学校卒業後は慶應義塾高等部へと進学されます。
高校ではゴルフ部に所属し、毎晩8~9時まで練習場で練習漬けの毎日だったんだとか。
サッカーをしていたのに、なぜゴルフ?と思い調べてみると
『中学時代、家族でゴルフに行った際に、おだてられて才能があると思い込んだ』のが理由らしいです。
それでも、スコアは80を記録するなど、ゴルフに没頭したそうですよ。
高校時代は青春していたようで、他校の文化祭に参加するのが好きだったと語っています。
ただ、シャイな性格は変わらず、女の子に声が掛けられなかったそうです。
中曾根康隆は英語が全くできない状態でアメリカ留学していた!
中曾根康隆さんは高校2年生の時にアメリカのダラスへ1年間留学しています。
英語が苦手だったのにも関わらず、日本人が一人もいない学校へ通うことも決めたんだそうです。
すごいチャレンジャー精神ですね(笑)しかし、案の定、授業内容もほぼわからない状態だったそうです。
帰国後は授業内容が理解できるありがたみを感じたそうで、
授業を真面目に聞くようになり、成績が大きくアップすることができたんだそうです。
大学は慶應義塾大学法学部法律学科へ進学
大学は「慶應義塾大学法学部法律学科」へと進学されます。
『法学部』に進学されていることを考えると、すでに政治家を意識していたと思われます。
また20歳ごろから父親の選挙活動に参加しており、
その活動の中で「この人達(住民の方)のお陰で祖父、父があり、今の自分があるんだ」と強く意識したことがきっかけで
政治家を志したと語っています。
- 20歳を過ぎてから父の選挙を手伝いはじめた。
- 大学の授業後に新幹線で東京から群馬に向かい、大勢の方の前で「父をお願いします」と応援演説を続けた。
- 地元群馬の人達がどれほどの想いで父を支えてくれているかを目の当たりにした。
- 「この人達のお陰で祖父、父があり、今の自分があるんだ」と強く認識
- 「自分も群馬の皆さんに恩返しができないか」と思うようになった。
引用:https://yasu-nakasone.com/#profile
大学でもゴルフに熱中していたようです。部活では副主将としてチームの中心だったそうです。
- 4時20分の始発で学校に向かい、6時から9時まで走り込みと500球の打ち込みトレーニングをしてから授業を受ける毎日。
- 厳しいトレーニングで40人いた新入生が一週間後たったの8人になってしまった。残った8人は一生の仲間。
- 4年生の時には副将としてチームを牽引し、リーグ戦では春秋連続優勝を実現できたことは、とても良い思い出。
- ベストスコアは66。
引用:https://yasu-nakasone.com/#profile
高校時代にやり残したことをするためコロンビア大学国際公共政策大学院に留学!
大学を卒業後、そのまま大学院へと進み「コロンビア大学国際公共政策大学院」へと進学されます。
ニューヨーク・マンハッタンにある大学院で、世界でもトップクラスの大学院となっています。
国際公共政策部門においては世界最高峰とも言われているほどです。
大学院への進学理由としては『高校時の留学が中途半端だった』『もっと日本を外から見てみたいと思っていた』と語っています。
高校の時の留学が中途半端だったため、英語を勉強するのではなく英語を使って勉強し、
もっと日本を外から見てみたいと思っていた。就職活動を途中でやめ、コロンビア大学に進学した。
引用:https://yasu-nakasone.com/#profile
留学生活をスタートした当時は、ネズミが出るような築100年のアパートで生活していたそうです。
世界最高峰と言われている大学院はやはりハードで、
『信じられない宿題の量があった』『図書館へ行くときは枕をもっていって勉強するほどハードだった』と語っています。
また社会経験がないクラスメートがおらず、社会経験がない中曾根康隆さんは苦労されたようです。
- 信じられないような宿題の量で、毎晩枕を持って図書館に行き勉強していた。
- クラスメートは社会人経験がある人ばかりで、学部卒は自分だけ。
- 社会経験をシェアできる彼らと違い、25歳という若さの自分は差し出すものが何もなかった。
- 他国の生徒にどうインパクトを与えるか、日本をどうやってアピールするかを常に考えていた。
引用:https://yasu-nakasone.com/#profile
中曾根康隆さんは、日本文化をアピールするため
『浴衣をみんなに着てもらう』『鍋パーティをする』『日本の文化・経済を学ぶ企画を実行』などを行っています。
この活動がきっかけで、自身のシャイな性格もなくなり、『日本人=シャイ』というイメージも払拭したそうです。
- 日本文化の発信をしようと、みんなに浴衣を着てもらいニューヨーク中を歩いたり、
- カラオケボックスに連れて行ったり、日本食レストランを貸し切って鍋パーティーやったりと様々な企画を実行した。
- 日本人はシャイというイメージを打ち砕いて、アウトゴーイングでリーダーシップがあるところを見せようとしていた。
- お調子者のようなタイプに見られていたと思う。昔じゃ全く考えられなかった。
- 日本の政治や経済、文化を他国の生徒に学んでもらうことを目的とした「Japan Trip」という研修ツアーを企画
引用:https://yasu-nakasone.com/#profile
中曾根康隆の経歴まとめ!あえて苦手な分野の職種へ就職?
中曾根康隆の経歴
- 2008年〜:JPモルガン証券
- 2013年〜:中曽根弘文事務所・秘書
- 2017年〜:政治家(政治家)第48回・49回・衆議院議員総選挙当選
- 2021年:防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官
中曾根康隆さんは大学院を卒業後、企業に5年間務めています。
2013年からは父・中曽根弘文議員の秘書を務めた後、衆議院選挙へ出馬し政治家として活動を開始します。
大学時代から政治家を目指していたのにも関わらず、一般企業に就職した理由も気になります。
詳しく見ていこうと思います。
JPモルガン証券へ入社した理由は『経済を学ぶ』ためだった
社会人になった中曾根康隆さんは、JPモルガン証券へ入社し、債券営業本部の金融法人担当になります。
また、金融関係に苦手意識を持っていたそうで、それでも経済やお金の流れを学んでおきたいとあえて金融業界へ飛び込んだそうです。
充実した生活を送っていた一方で、自分にしかできない仕事が何かということを考えるようになっていったそうです。
『祖父や父がお世話になっている群馬への恩返ししたい』という思いや
『育ってきた環境による政治への興味』などを理由に政治の世界へ挑戦することを決意されます。
ですが、父・中曽根弘文さんに秘書になりたいことを伝えるも、2年間反対され続けたそうです。
それでも政治家になる事を決心し、退路を断つために、社会人6年目にJPモルガン証券を退職します。
JPモルガン証券を退職後、父・中曾根弘文の秘書になる
覚悟をもってJPモルガン証券を退職した後、中曽根弘文事務所にて秘書を務めることになります。
1年目は東京で、主に地元市町村からの要請事項を関係症状と折衝に当たる仕事に従事します。
2年目になると、父がお世話になっている群馬で仕事をすることになります。
群馬で仕事をするにつれ、いかに中曽根家が地元の人に支えられているかを実感したそうですよ。
このころから、自分が政治家になったらどのようにしていくか、を考えていたそうですよ。
衆議院議員として防衛大臣政務官・内閣府大臣政務官に就任!
4年間、秘書を務めた後、自分の政治活動を始めたいと、中曾根弘文事務所を退所します。
2017年8月に政治活動を始め、その年の10月に衆議院選挙が行われ、自民党北関東比例区から出馬し初当選を果たしました。
その後、4年間衆議院議員として活動をされました。
2021年には第49回衆議院議員総選挙へ出馬し、群馬1区で再選を果たしました。
そして、2021年11月の第2次岸田内閣発足の際、防衛大臣政務官・内閣府大臣政務官へ就任することが決まり、現在まで続いています。
中曾根康隆のSNSなどでの評判は?
そんな中曽根康隆さんの評判はどんな感じなのでしょうか?
群馬を拠点としているため、群馬に住んでいる方たちからの評判はよさそうで
「友達のように気軽に話せる人」「うわべだけの答えはせず、どんなことにも耳を傾けて通り過ぎず聞いてくれる」等、
群馬の方たちに寄り添う活動をしていることがわかります。
まとめ
今回は、中曾根康隆さんの学歴・経歴について解説してみました。
祖父・父・息子と3代にわたっての政治家一家でもあり、社会人でもしっかりと成績を残してきたであろう中曾根康隆さん。
まさに政界のサラブレッドと呼べる存在ですが、評判については先の問題の件もあり、厳しい評価をもらってしまうことになってしまいましたね。
これからどのように政治家として信頼を取り戻すのか注目する必要がありそうですね。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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