2023年8月2日、日本橋高島屋で、拉致被害者である横田めぐみさんの写真展が開催されました。
開催初日には横田早紀江さんと有本明弘さんの対談が予定されていたため、
松野博一官房長官など大物関係者も多く顔を合わせていたようです。
対談の後半、客席から「誘導尋問してるんじゃねえぞ!」とのヤジが飛びました。
このヤジを飛ばした人物は内閣官房拉致問題対策本部事務局長を努めた石川正一郎氏だったそうです。
今回は『石川正一郎とはどんな人物なのか』を調査しました。
石川正一郎のwiki学歴プロフィール
- 名前:石川 正一郎(いしかわ しょういちろう)
- 出身:神奈川県鎌倉市
- 生年月日:1958年3月 (2023年現在65歳)
- 学歴: 東京大学法学部卒業
- 現職:内閣官房参与
石川正一郎氏は神奈川県鎌倉市に生まれ、高校卒業まで神奈川県で過ごします。
幼少期に関してはほとんど情報がありませんでした。
しかし、大学卒業後から警視庁で勤務しているため、幼少期から『警察官』という夢があったのではないでしょうか。
石川正一郎の学歴!東京大学法学部卒の超エリートだった!
石川正一郎氏は聖光学院中学校・高等学校を卒業後、東京大学法学部に入学しています。
東京大学という名前を聞けば「エリートだ!」と思う方も多いのではないでしょうか。
東京大学法学部の偏差値は74で、法学部の中ではトップです。
ちなみに石川正一郎氏が通っていた聖光学院中学・高校の偏差値はなんと78!!
幼少期からものすごい努力家だったのではと想像ができますね!
石川正一郎は公安警察・警察庁ととんでもない経歴だった!
- 1985年:警察庁に入庁
- 1991年:外務省・在英国日本国大使館一等書記官
- 1994年:警察庁刑事局・暴力団対策部暴力団対策第二課理事官・警視正
- 1995年:警察庁警備局・警備企画課理事官
- 1997年:警視庁公安部・公安総務課長
- 1998年:警察庁・長官官房人事課企画官
- 1999年:警視庁・警務部参事官・人事第一課長事務取扱
- 2001年:警察庁・長官官房参事官
- 2003年1月31日:秋田県警察本部長・警視長
- 2005年3月25日:警察庁・長官官房参事官
- 2005年7月20日:警察庁・警備局公安課長
- 2007年5月30日:警察庁警備局警備企画課長
- 2009年2月9日:栃木県警察本部長・警視監
- 2011年3月22日:警視庁・公安部長
- 2013年4月5日:神奈川県警察・本部長
- 2014年4月1日:内閣官房副長官補付内閣審議官(内閣官房拉致問題対策本部事務局長)
- 2023年3月31日:内閣官房参与
石川正一郎氏は大学卒業後、警察庁に入庁し勤務を始めます。
警察としてのエリート街道を進み続け、2003年には秋田県警の本部長・警視庁を努めます。
2005年には警察庁の警備局公安課長を努め、2011年には警視庁・公安のトップである公安部長となります。
その後、石川正一郎氏の地元である神奈川県警の本部長を経て、
内閣官房拉致問題対策本部事務局長に就任します。
9年間に渡り、拉致問題対策本部事務局長を努めた後、2023年に内閣官房参与に任命されました。
経歴表だけ見ても『課長』『本部長』などとんでもない経歴であることがわかりますね。
警視庁と警察庁って何が違うの?
警視庁:東京都を管轄区域とする警察行政機関、都道府県の県警に位置する組織
警察庁:都道府県警察を統括指揮監督管理する警察行政機関、警察のトップの組織
石川正一郎は公安部の『ゼロ』に所属していた!
石川正一郎氏は公安警察の中でも、協力者運営などの情報収集の統括を担当する『ゼロ』に所属していたそうです。
『ゼロ』といえば名探偵コナンの安室透を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
名探偵コナンの中の『ゼロ』と全く同じ組織と断定はできませんが、
公安警察の中でも特別な組織であると思われます。
因みに『ゼロ』だけでなく『チヨダ』『ナカノ』『サクラ』といった呼び方もあるそうです。
石川正一郎は足利事件を担当していた?
足利事件とは
- 1990年5月12日に起きた栃木県足利市内のパチンコ店で4歳の幼女が行方不明・殺害された事件
概要
- 1990年5月12日:夕方栃木県足利市内のパチンコ店で4歳の幼女が行方不明となる
- 翌朝同市内の渡良瀬川河川敷において遺体で発見
- 足利市内の幼稚園のバス運転手をしていた菅家利和が有罪判決を受けて服役
- 2009年:菅家のDNA型が被害者の下着に付着した犯人の精液とは一致しないと判明、再審となり無罪が確定
足利事件は1990年5月12日に起きた事件です。
1990年当時、石川正一郎氏は『警察庁』で勤務されているため当時の捜査には携わっていないと思われます。
しかし、2009年の足利事件の犯人とされた菅家利和氏の冤罪が確定した際は栃木県警察本部長を努めています。
足利事件の冤罪被害者の菅家氏が釈放後に栃木県警察本部を訪れた際、
「長年にわたって服役させ、苦痛を与えたことを大変申し訳なく思っています」と謝罪をしています。
捜査には関与していないようですが、栃木県警察本部長を努めていた際に『冤罪』が確定したため
責任を問われています。
拉致問題対策の事務局長として活躍
石川正一郎氏は2014年の安倍内閣時代から内閣官房拉致問題対策本部事務局長に就任しています。
拉致問題対策は本部長である内閣総理大臣や副本部長の国務大臣・内閣官房長官・外務大臣が中心となり
業務を行いますが、事務仕事に関しては事務局長を始めとする本部で行っていたそうです。
石川正一郎はパワハラ上司として有名だった
とんでもない経歴を持つ石川正一郎氏ですが、警察内部からの評判は悪かったそうです。
噂では『精神的パワハラ』『暴力によるパワハラ』が度々発生していたようです。
①石川正一郎による暴力パワハラ
石川正一郎氏が公安に所属していた際に生じた事件のようです。
方面本部長の退職送別会の席の中で、ノンキャリ警察官のおでこを石川正一郎氏が叩いたそうです。
叩かれた警察官の階級は石川正一郎氏より低かったそうですが、年齢は上だったため
会場は唖然としていたそうです。
②石川正一郎による左遷パワハラ
2013年に退職した元警視庁本部長、さらにその前本部長は『パワハラ』『左遷』を受けていたそうです。
内容としては本部長1人に全責任を押し付け『左遷』させるといった事のようです。
パワハラにより鬱状態になってしまった方もいたそうです。
③新聞社局長を呼び出し謝罪させる
パワハラは警察内部だけでは無かったようです。
新聞による『報道』の影響はとても大きいので『誤報』は決して許される事ではありませんが、
石川正一郎氏は些細な誤報でも見つければ、新聞社局長を呼び出し謝罪させるという事をしていたようです。
しかし、この行動はあまりに『異様』であると言われています。
まとめ
今回は『石川正一郎とはどんな人物なのか』を調査しました。
日本の警察のトップにいる存在であるためか、石川正一郎氏に関する情報はかなり少ないと感じました。
今後、何かしらの情報が公開され次第、更新します。
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