今回の衆議院補欠選挙でNHKから国民を守る党から出馬を表明した福永活也さん。
今回は福永活也さんの学歴・経歴について調べてみました!
また、福永活也さんは弁護士時代の稼ぎで10億円を稼いだという逸話があり、また、冒険家という一面も持っています。
その辺りの事も含めて書いていきたいと思います!
福永活也のwiki風プロフィール紹介!
- 名前:福永活也(ふくなが かつや)
- 生年月日:1980年11月12日
- 年齢:43歳(2024年5月現在)
- 血液型:A型
- 出身地:三重県伊勢市
- 職業:冒険家・弁護士・経営者・タレント
- 所属:福永法律事務所
福永活也さんは1980年11月12日に三重県伊勢市にて生まれます。
福永活也さんの実家は伊勢神宮の内宮前にある土産物屋を営まれているそうです。
また2人の兄弟がいるそうで、福永活也さんは三男坊として生まれました。
ちなみに、長男は京都大学出身で現在は三菱商事のインド支部で勤務され、次男は東京大学出身で現在はアメリカ・ジョンズホプキンス大学の准教授とのことです。
福永活也さんは弁護士としての顔も持っていますし、エリート3兄弟なことがわかりますね!
誕生時は未熟児だったため、幼少期は身体が弱ったそうです。
現在は冒険家・登山家とアクティブな活動もされれいますが、幼少期は内気な性格だったようです。
学生時代には陸上や野球を始め、成績優秀者として表彰されたこともあるくらい実力があったそうです。
現在活動は学生時代の経験からきているのかもしれませんね!
福永活也の学歴を紹介
- 小学校:伊勢市立厚生小学校
- 中学校:伊勢市立厚生中学校
- 高校:三重県立伊勢高等学校
- 大学: 名古屋工業大学工学部
- 大学院:関西大学法科大学院
福永活也さんは高校まで地元・伊勢市の公立校に通っていたことがわかっています。
大学からは地元を飛び出し、名古屋での生活を開始します。
おそらく大学進学を機に、一人暮らしを始めたのではないでしょうか。
大学卒業後は、フリーターとして生活をした後に大学院に進学し弁護士を目指したそうです。
各時代を詳しく見ていこうと思います。
小学校・中学校時代の福永活也は野球三昧だった!?
福永活也さんは小学校4年生から地元のリトルリーグにて野球を始めたそうです。
未熟児で誕生したため、幼少期は虚弱体質で身体も小さかったと語っておりますが、
スポーツセンスはとても輝いていたようで、野球だけでなく陸上競技にも挑戦しています。
素晴らしい成績も残しており『短距離は伊勢市内2位、三重県内5位』でスポーツ万能だった様子がうかがえます。
中学生になると、野球では伊勢市内の最優秀選手に選出され、学業ではオール5をとるなど
スポーツだけでなく勉強でもすごい成績を残しています。
幼少期から『スポーツ万能・頭脳明晰』であることがわかりますね。
三重県立伊勢高等学校では1年生からレギュラーとして活躍するが、難病を発症していた!?
福永活也さんは三重県立伊勢高等学校に進学しています。
高校時代でも野球に没頭していたそうで、1年生の時からレギュラーとして活躍し、
3年生の夏には『4番ライトで三重県大会ベスト4』に導いたほどの実力の持ち主みたいです!
高校時代には友達との青春も楽しんでいたようで、自宅でのホームパーティーの開催を頻繁に行っていたと語っています。
ただ、高校時代には不運にも見舞われてしまったようで
『肩のケガ』『1年生の冬には難病指定されているlgA腎症を発症』『両親からのモラハラ・パワハラ』など、かなり苦労されていたそうです。
三重県立伊勢高等学校
- 名称:三重県立伊勢高等学校
- 住所:三重県伊勢市神田久志本町1703-1
- 設立: 1956年
- 種別:公立・ 男女共学
名古屋工業大学工学部電気情報工学科には成り行きで進学し、アルバイトや趣味に熱中していた。
福永活也さんは高校を卒業後、名古屋工業大学工学部電気情報工学科に進学されます。
後に弁護士となる福永活也さんですが、成り行きで地元に近い大学という感じで進学したそうです。
このことから『当時は弁護士を目指していなかった』ということが分かりますね。
特に目的なく進学していたため、勉強をほぼしておらず『アルバイト』と『バックパッカー』ばかりしていたと語っています。
福永活也さんが大学に通っていた2000年代前半は今ほどインターネットが、今ほど便利になっていなかったため、
本や情報ノートを頼りに『20か国程』の国を旅したそうです。
このバックパッカーの旅が、現在の登山や冒険といった活動につながっているようです。
名古屋工業大学・工学部電気情報工学科
- 名称:名古屋工業大学
- 住所:愛知県名古屋市昭和区御器所町
- 設立: 1949年5月31日
- 種別:国立
一般企業で営業として就職するが2年で退職しフリーター生活
大学へ進学したものの、勉強などまったくしていなかった福永活也さんは、就職活動もまともにしなかったそうです。
卒業間際に就職活動を行い、株式会社オンテックスへ入社しました。
オンテックスでは『飛び込み営業』で仕事をしていたそうですが、わずか2か月で退社。
そのままフリーターとなり、レンタルビデオGEOでアルバイト生活を始めたそうです。
その後、2004年1月の23歳にお父さんを病気で亡くし、『人生を見つめなおし、弁護士を目指す』とを決めたそうです。
父の死がきっかけで弁護士を志して関西大学法科大学院へ入学
弁護士になることを決めた福永活也さんは2005年に関西大学法科大学院へと入学します。
前述に『両親からのモラハラ・パワハラ』があったことを記載しておりますが、
当時、父親から『精神的苦痛』を負わされており、『死別を経て解放された』ことを告白されています。
大学院では初めて自主的に勉強を行い、3年間はとても楽しかったらしく『一度も大変だと感じたことなく勉強に没頭した』といいます。
また2006年には持病であるlgA腎症の手術を受け、抗生物質の副作用などに苦労していたとかたっています。
大学では授業のみ参加し、それ以外は身体の治療に励む生活を続け、完治されたそうです。
関西大学法科大学院
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- 名称:関西大学法科大学院
- 住所:大阪府吹田市山手町3-3-35
- 種別:私立
福永活也の経歴まとめ!冒険や挑戦を続ける超アクティブな弁護士だった!?
- 2008年9月:司法試験合格
- 2008年11月:司法研修所入所
- 2009年12月:東京弁護士会入会
-
2009年12月:弁護士法人北浜法律事務所東京事務所に入所
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2012年2月:株式会社東日本大震災事業者再生支援機構へ出向
- 2014年2月:弁護士法人北浜法律事務所東京事務所に復帰
- 2014年5月:福永法律事務所を設立・独立
- 2021年2月:事務所名をひとり親支援法律事務所と改称
- 2022年9月:事務所名を福永法律事務所に戻す
福永活也さんは2008年の司法試験に挑み、7842人が受けた中56位という好成績で一発合格しました。
その後司法研修を経て、2009年に東京弁護士会へ登録されました。
その後、大手弁護士事務所の「北浜法律事務所 東京事務所」へ入所します。
勤務弁護士として2年間勤務しています。
『北浜法律事務所』では『訴訟』『M&A』『倒産(会社更生・民事再生・知的整理など)』『独占禁止法』『税務』など幅広い業務に携わったそうです。
などの仕事に携わり、とにかく経験を積むため、人の2倍以上の仕事をこなしていたとインタビューで話されていました。
東日本大震災の復興支援のために尽力する
2012年2月からは前年に発生した東日本大震災の復興のために設立された
『株式会社東日本大震災事業者再生支援機構』に出向します。
被災した事業者に対しての金融支援をこなしていたそうです。
それだけなく、『原発事故』『風評被害』に対する文献や資料を読み漁り、『東京電力への賠償請求』にも携わっています。
被災地のサポートのため、『休日に被災地を訪問し、レポートを配り』『回収ベースの完全成功報酬での契約形態を提供』などを行った結果、
少しずつ被災地からの依頼が来るようになったそうです。
2014年には『北浜法律事務所』に復帰しますが、
個人で対応していた『東京電力への賠償請求』や『被災した事業者からの依頼』が増えていき『独立』を決心したと語っています。
『福永法律事務所』を設立!震災やひとり親支援の業務を中心に活動!
2014年5月に『福永法律事務所』を設立します。
独立後は2019年まで『東京電力への賠償業務』に注力していたそうです。
その結果、設立して『わずか1年で5億円の課税所得』を達成!2015年にも同じく5億円を稼ぎ、2年間で10億円を稼ぐことになりました!
その後は『著名人などの誹謗中傷の損害賠償』や『ひとり親の養育費請求業務』などを中心とした業務をおこなっています。
冒険家・実業家としての実績もやばい!エベレスト登頂に不動産経営!?
福永活也さんは弁護士以外にも、冒険家・実業家としても活動されています。
冒険家としては、エベレストを含む世界七大陸最高峰を制覇しており、残るは北極点のみ。
3月16日〜6月10日で8000m峰6座に挑戦します。応援よろしくお願いします!スポンサーも募集中です。
アンナプルナ(世界10位8091m)
ダウラギリ(7位8167m)
カンチェンジュンガ(3位8586m)
エベレスト(世界最高峰8848m)
ローツェ(4位8516m)
マカルー(5位8463m)https://t.co/Brv4H0tBYb pic.twitter.com/1EQ2PpzQeO— 福永活也@24’春2回目エベレスト登山予定 (@fukunagakatsuya) March 5, 2024
また、実業家としては
- 不動産経営
- 飲食店(コロナにより閉店)
- モデル事務所(コロナにより休業)
- 人狼ゲーム店舗(コロナにより閉店)
- アパレル(コロナにより閉店)
- メディア活動
など、多岐にわたる経営をしていたそうです。
福永活也は弁護士だけでなく政治家としても活動を開始した!?
立花さんから、東京15区の補選に立候補して欲しいって言われたんですが、どうすべきでしょう?
僕、4/16-19が九州で、4/20-5/30までエベレストで何の活動もできないんですが、あとはこっちでやっておきますって笑— 福永活也@24’春2回目エベレスト登山予定 (@fukunagakatsuya) April 12, 2024
衆院東京15区補欠選挙へ、NHKから国民を守る党の立花氏から出馬要請を受け、出馬を表明しています。
ただ、本人は『選挙期間中にエベレストへの登山』のため『本人不在での選挙出馬』という形での出馬でした。
2024年4月28日に投票・開票が行われ、福永活也さんは1410票という票数で落選してしまいました。
その上の秋元氏が8061票ですので、他の上位の方からかなり差をつけられての落選という結果となってしまいました。
まとめ
今回は、東京補欠選挙に出馬した福永活也さんの学歴・経歴について書いてみました!
弁護士時代には2年間で総額10億円という稼ぎを出し、その後冒険家として7大陸制覇も果たし、実業家としても活躍されています。
今回の補欠選挙では、残念ながら落選してしまいましたが、これから政治家としてどのように活動していくのか注目されますね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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