元長崎県議会議員であり、現在は立憲民主党に所属している「末次精一」氏。
今回は末次精一氏の学歴・経歴などを調べてみました!
また、政治家になったきっかけや評判なども合わせて書いていければと思います。
では書いていってみましょう!
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末次精一のwiki風プロフィール
引用:https://cdp-japan.jp/member/4107
まずは、末次精一氏のプロフィールについて簡単にまとめたいと思います。
- 名前:末次 精一(すえつぐ せいいち)
- 生年月日:1962年12月2日(60歳)
- 出身:長崎県佐世保市
- 所属政党:立憲民主党
- 趣味:新極真空手・読書・ゴルフ・メダカの飼育・小説を書く・書道・音楽(ピアノ)
- 資格:中小企業診断士・MBA・キャリアコンサルタント・腸活アドバイザー
末次精一氏は長崎県佐世保市で産まれ育ちました。
政治家になる前は、川崎製鉄(現:JFEスチール)に努めています。
その後、アメリカ合衆国オハイオ州のアームコ社へ出向します。
このアメリカ合衆国への転勤が政治家を志すきっかけになったそうです。
日本へ帰国し岡山県に勤務していた時に、田中角栄元首相の秘書であった早坂茂三氏に「政治家になりたい」と手紙を送り、
早坂茂三氏の紹介で1995年に小沢一郎氏の秘書となりました。
自ら手紙を送って夢を追いかけるなんて、とても行動派ですね!
2007年には長崎県議会議員に初当選を果たし、政治家となります。
2012年には恩師である小沢一郎氏の擁立により衆議院選挙に立候補するも落選となりました。
その後も政党を変えながら、参議院選挙や衆議院選挙に立候補するも落選が続きました。
2021年の第49回衆議院議員総選挙は立憲民主党に公認で立候補するも落選しましたが、
比例九州ブロックで復活を果たし、5回目の衆院選立候補にして初当選を果たします。
2022年の立憲民主党の常任幹事会で、次の選挙での新たな区割りとなる長崎3区からの立候補が内定していたが、
2023年5月20日に長崎4区の現職であった北村誠吾氏が死去。
その補欠選挙が行われることに伴い、立憲民主党は末次氏を公認候補に決定しました。
末次精一の学歴まとめ!
ここからは末次精一氏の学歴をまとめてみました!
末次精一の学歴
- 小学校:佐世保市立福石小学校・佐世保市立八幡小学
- 中学校:佐世保市立清水中学校
- 高等学校:私立青雲高等学校
- 大学:京都大学工学部
1962年に佐世保市で産まれた末次精一氏は、佐世保市立福石小学校・佐世保市立八幡小学校・佐世保市立清水中学校へ入学します。
学歴を調査していた際に出身小学校が2校ありました。
佐世保市立福石小学校と佐世保市立八幡小学校は全く別の小学校となっています。
また佐世保市立八幡小学校は2004年に廃校になっていますが、末次精一氏の小学生時代には存在しています。
もしかすると、何かしらの事情で転校してたため、出身小学校が2校あるのかもしれませんね。
末次精一の出身高校は青雲高等学校!
末次精一氏は長崎県にある私立青雲高等学校へ進学します。
青雲高等学校は中高一貫校となっているようです。
2023年現在の青雲高等学校の偏差値は76となっており、長崎県ナンバー1のエリート高校です!
政治家や弁護士、大学教授を始めとする有名人を多数排出しています。
因みに青雲高等学校は伝統的に医学部への進学率が高いそうです。
末次精一の出身大学は京都大学工学部!
高校を卒業後は、京都大学工学部に進学されます。
京都大学といえば誰もが知る日本トップクラスの大学ですね。
京都大学工学部の偏差値は62.5〜67.5となっています。
大学卒業後は、川崎製鉄(現:JFEスチール)に技術者として勤務されます。
大学の学部や就職先を見ても、学生時代には政治家という進路は考えていなかったと思われます。
末次精一が政治家となったきっかけはバブル景気だった?
では、なぜ末次精一氏が政治家となろうと思ったキッカケとはいったい何なのでしょうか?
理由は、当時のバブル景気にあったといわれています。
政治家になる前は技術者として川崎製鉄(現:JFEスチール)に勤務されていた末次氏は、途中、アメリカ合衆国オハイオ州のアームコ社へ出向となります。
当時の日本と言えば、ちょうどバブル景気であり、その流れに乗り、たくさんの日本企業が米国内の不動産などを派手に買い占めていました。
もちろん、当時のアメリカからは反感を買うことに。
そして末次氏はアメリカの友人に「日本人はずるい国民だ」と言われたといいます。
このように言われたことが転機となり、末次氏は政治に関心を持ったといいます。
岡山県に勤務していた際、田中角栄元首相の秘書を務めていた早川茂三氏に
「政治家になりたい」と手紙を送ったことがキッカケとなり、
1995年に小沢一郎氏衆議院議員の秘書となりました。
その後は2007年の県議選で初当選を果たし、政治家としての第一歩を歩みました。
末次精一の政治家としての経歴まとめ
- 1995年:衆議院議員小沢一郎の秘書を務める
- 2000年6月:第42回衆議院議員総選挙(東京都) 落選
- 2003年4月:長崎県議会議員一般選挙 落選
- 2007年4月:長崎県議会議員一般選挙 当選
- 2011年4月:長崎県議会議員一般選挙 当選(2期目)
- 2012年12月:第46回衆議院議員総選挙(長崎県) 落選
- 2014年12月:第47回衆議院議員総選挙(長崎県) 落選
- 2016年7月:第24回参議院議員通常選挙(比例) 落選
- 2017年10月:第48回衆議院議員総選挙(長崎県) 落選
- 2021年10月:第49回衆議院議員総選挙(比例) 当選(1期目)
- 2023年10月:補欠選挙 公認候補
1995年に当時衆議院議員だった小沢一郎氏の秘書となった末次精一氏ですが
2000年の第42回衆議院議員総選挙で初めて選挙へ出馬します。
東京7区から自由党公認で立候補しましたが落選となりました。
2003年には地元長崎県議議員選挙に出馬するも落選。
2007年の長崎県議議員選挙で初当選し政治家としての活動を開始します。
長崎県議会議員を2期努めますが、その間も国政を目指し活動されていたそうです。
2012年には恩師である小沢一郎氏の擁立により衆議院選挙に立候補するも落選となります。
末次精一氏は何度も政党を変更していますが、恩師の小沢一郎氏と常に同じ政党に所属していたようです。
その後も衆議院選挙や参議院選挙に出馬するも落選が続きます。
2019年6月には旧国民民主党の長崎4区支部長に就任しました。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙では長崎4区から出馬、小選挙区で猛追するも落選となりますが、
比例九州ブロックで復活当選し、見事に国政へ進出しました。
2022年12月の立憲民主党の常任幹事会では次期衆議院議員総選挙に長崎3区からの立候補が内定していましたが
長崎4区現職である北村誠吾氏の死去により2023年10月に予定している補欠選挙の公認候補となりました。
SNSでの末次精一の評判は?
では、末次精一氏の評判はいったいどうなんだろうと気になる人もいると思います。
SNSなどを探してみましたが、末次精一氏の評判に関する情報は見つかりませんでした。
国政へ進出して年月も浅いため、認知度が少ないと思われ、
SNSで末次精一氏についてコメントしている人がいないように感じました。
ニュースのコメントでは末次精一氏に関する意見が見られました、
大変失礼ですが、前回の長崎4区のあの状況で勝てなかった末次さんは、決して地元で人気があるとは言えない候補者です。
補選の次にある本選では、4区が消滅し3区に組み込まれる形となります。
世襲対決もいかがかと思いますが、ぶっちゃけ山田勝彦さんを3区の支部長にした方がいい勝負になるのではないでしょうか。
引用:yahoo!ニュース
ニュースへのコメントや選挙の実績からみると
『あまり人気のある人』とは言いにくいのかもしれませんね。
まとめ
今回は、末次精一氏の学歴・経歴、また政治家になった理由などを調べて書いてみました。
どうやら政治家としてはあまり期待されている感じは見受けられませんでした。
しかし、どうなるのかわからないのが選挙ですから、補欠選挙とはいえ、頑張ってほしいですね。
今回はこの辺で!
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