日本銀行の第32代総裁を務める植田和男氏。
日本銀行総裁となる以前は経済学者・大学教授を努めていました。
実は植田和男氏は「とんでもない学歴の持ち主だ」と話題になっています。
今回は植田和男氏の学歴・経歴についてまとめてみました。
本記事で分かること
- 植田和男の学歴について
- 植田和男の中学校について
- 植田和男の高校のについて
- 植田和男の大学について
- 植田和男の留学について
- 植田和男の大学卒業後の経歴について
植田和男の学歴は東大・大学院を卒業後マサチューセッツへ留学
植田和男の学歴
- 出身中学校:東京教育大学附属駒場中学校
- 出身高校:東京教育大学附属駒場高等学校
- 出身大学:東京大学・理学部、東京大学・経済学部
- 出身大学院:東京大学大学院・経済学研究科
- 留学先:マサチューセッツ工科大学大学院
植田和男氏が『東大卒』『マサチューセッツ工科大卒』であることは有名です。
本記事では植田和男氏の『中学校』や『高校』まで調査してみました。
各時代で詳しく見ていきます。
植田和男の中学校は東京の中高一貫校出身!?
植田和男氏の高校時代に関しては後述しますが
東京教育大学附属駒場高等学校(現在の筑波大学附属駒場高等学校)出身です。
通称「教駒」と呼ばれており中高一貫校となっています。
植田和男氏の中学校に関しては確定情報がありませんが
東京教育大学附属駒場中学校の可能性が高いと思います。
ちなみに植田和男氏には小中学生時代に下記のような天才エピソードがあったそうです。
地元の静岡県に帰省時、ラジオで英語を勉強していた。
実家から親戚の家までの数キロを英語の本を読みながら歩いていた。
植田和男氏は学校の授業だけでなく自ら積極的に英語の勉強をしていたそうです。
植田和男は東京教育大学附属駒場高等学校出身で前・日銀総裁の後輩
植田和男氏は東京教育大学附属駒場高等学校(現在の筑波大学附属駒場高等学校)出身です。
1967年に入学し、1970年に卒業しています。
同高校は1978年に筑波大学附属駒場中学校・高等学校へ改名しています。
筑波大学附属駒場高等学校の2023年度の偏差値は【78】で東京TOPの偏差値ランキングです。
植田和男氏はとんでもなく優秀であることが分かりますね。
理数系科目の成績は常に圧倒的TOP
数学は特に異常なほどで『高校2年時には3年生と同じ模試でTOP3に入っていた』『文章を読むように数式を読む』
高校時代にも上記のような植田和男氏の天才エピソードがありました。
勉強だけでなくスポーツも得意だったようで
多摩川河川敷で行われる校内のマラソン大会で1位になった
というエピソードもあります。
頭が良くてスポーツもできるなんて本当に完璧ですね。
また前・日銀総裁の黒田東彦氏も同高校出身で植田和男氏の7つ先輩だそうです。
国会議員の小池晃氏や後藤田正純氏、元官房長官の細田博之氏も同高校出身です。
ちなみに筑波大学附属駒場高等学校は名前の通り筑波大学の付属校ですが
付属校には珍しく内部進学制度をとっていないのが特徴です。
内部進学:付属校の生徒が一定条件を満たすことで一般受験を受けずに進学できる制度のこと
東京教育大学附属駒場高等学校(現在の筑波大学附属駒場高等学校)詳細
- 名称:筑波大学附属駒場中学校・高等学校(1978年〜)
- 区分:国立高校
- 設立:1947年
- 学科:普通科(進学校)
- 場所:東京都世田谷区池尻四丁目7番1号
- 過去の学校名
東京農業教育専門学校附属中学校・高等学校(1947年〜)
東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(1952年〜) - 学校設立者:国立大学法人筑波大学
植田和男は東京大学を2回入学している!?
植田和男氏は東京大学出身です。
植田和男氏の大学時代を調査してみると東京大学に2回入学していると分かりました。
1970年、高校卒業後に東京大学・理学部数学科に入学しています。
1974年に東京大学・理学部数学科を卒業後、学士入学で東京大学・経済学部に入学しています。
学士入学:大学で学士号を取得した人や取得予定者を対象とした他の学部へ編入学することができる制度。通常の入学と異なり短期間で卒業が可能。
植田和男氏は4年間は東京大学・理学部数学科で学び、学士入学後東京大学・経済学部で1年間学び、合計5年間東京大学に在学しています。
東京大学経済学部に在学中は、経済学の重鎮の宇沢弘文氏や金融論の重鎮である小宮隆太郎氏、浜田宏一氏に学んだそうです。
東京大学は誰もが知っている日本トップクラスの大学です。
その大学を2度も卒業しているなんてビックリですよね。
東京大学・詳細
- 名称:東京大学
- 区分:国立大学
- 設立:1877年
- 学校設立者:国立大学法人東京大学
- 場所:東京都文京区本郷七丁目3番1号
植田和男は大学院も2度卒業!2度目は世界TOPクラスの大学!
植田和男氏は1975年に東京大学・経済学部を卒業後、経済学の研究を更に深めるために
東京大学大学院・経済学研究科に入学しています。
1976年に東京大学大学院・経済学研究科を卒業し博士号を取得しました。
その後、日本経済だけでなく世界経済学を世界TOPクラスの場所で学ぶために
マサチューセッツ工科大学大学院に留学しました。
1980年にマサチューセッツ工科大学大学院・博士課程を卒業したのが最終学歴となっています。
植田和男氏にとってマサチューセッツ工科大学への留学経験は現在にも大きく反映されているようで
当時の留学経験を下記の様にコメントしています。
MIT(マサチューセッツ工科大学)の大学院生だった私は、
ドーンブッシュが『白川前総裁のマネタリーアプローチによる為替レート分析結果の表(日本語で書かれたもの)』を授業の中で説明するのを聞いて、強い刺激を受けたのを覚えている。
※上記表は後に『金融研究資料』に掲載された
マサチューセッツ工科大学は世界の大学ランキングでTOP5に入るほどのハイレベルな大学です。
世界TOP5の大学院で経済学について学んでいた植田和男氏がどれほどすごいのかは語る必要もほどですね。
ちなみに2022年世界の大学ランキングで最も上位の日本の大学は東京大学で35位となっています。
マサチューセッツ工科大学・詳細
- 名称:マサチューセッツ工科大学
- 通称:MIT
- 区分:私立大学
- 設立:1861年
- 総長:Melissa Nobles
- 学長:L・ラファエル・ライフ
- 場所:アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジ
大学院卒業後、植田和男は経済学・大学教授として活躍
植田和男は1980年から日銀総裁就任まで大学教授を務める
1980年マサチューセッツ工科大学大学院を卒業後から
植田和男氏は大学で教鞭を取りはじめました。
植田和男氏が一番最初に勤務した大学はカナダにあるブリティッシュコロンビア大学・経済学部です。
ブリティッシュコロンビア大学では1980年〜1982年まで助教授として勤務しました。
その後、日本へ帰国し1982年からは大阪大学・経済学部の助教授に就任しています。
1989年からは東京大学・経済学部で助教授として教鞭を取り始め
1993年には『教授』に就任、2005年からは東京大学大学院の経済学研究科長・教授として活躍し
2017年には東京大学名誉教授となっています。
植田和男氏には大学教授時代にも天才エピソードがあり
当時、生徒だった関東学院大学教授の中泉拓也氏が下記のように語っています。
植田先生に数学では誰もかなわないのではないかと思います。数式にしても、普通の文章を読むようにして読み解いてしまうんです。
経済学の研究は、突き詰めていくほど高度な数学が扱えないと難しい。数学を学んで経済学へ、というのは自然です。
植田先生は英語も堪能。普段は寡黙ですが英語似関しては、はつらつと話します
卒論指導は厳しかった…
データやエビデンスを非常に大事にしており、詰め切れていない論点や根拠があやふやな場合は
「ここはおかしいですよ」「これはどうしてこうなるのですか」と厳しく指導されました
また植田和男氏は、かなりの『酒豪』らしく
生徒やOBと深夜まで飲んだり、年に1度「朝まで夜通し飲む会」を開催していたそうです。
2017年からは共立女子大学の教授としても教鞭をとっています。
植田和男の教職歴
- 1980年〜1982年:ブリティッシュコロンビア大学(カナダ)・経済学部・助教授
- 1982年〜1989年:大阪大学・経済学部・助教授
- 1989年〜1993年:東京大学・経済学部・助教授
- 1993年〜2005年:東京大学・経済学部・教授
- 2005年〜2007年9月:東京大学大学院・経済学研究科長
- 2005年〜2017年:東京大学大学院・経済学研究科・教授
- 2017年〜:東京大学名誉教授
- 2017年〜2020年:共立女子大学・教授
- 2020年〜:共立女子大学・ビジネス学部ビジネス学科・教授
植田和男は大学教授だけでなく経済学者として政策当局へ所属していた
植田和男氏は1982年に日本へ帰国し1985年からは大学だけでなく政府機関でも活躍しています。
1985年から1987年は大蔵省財政金融研究所(現在の財務省財務総合政策研究所)に所属し
国家機関で経済の研究や財務省の業務に携わっていました。
1998年から2005年は日本銀行政策委員会審議委員として日本の金融政策の決定に携わっています。
日本銀行政策委員会審議委員時代に植田和男氏は2つの発言・行動で注目されました。
1つ目の注目発言・行動
(ゼロ金利政策の)コミットメント度合いを少し強く市場に対して発表するという方法はあるかと思います。
景気が本格的に立ち直るまではゼロ金利政策を続けるという方向感でのメッセージを伝えることで、
市場にとって若干驚きがあるようなものを何か入れられるかどうかは検討に値します。
上記は1999年3月25日『ゼロ金利政策』が導入された直後に行われた金融政策決定会合で発言された内容です。
内容を簡単にまとめると
『一定条件を満たさない限りは【ゼロ金利政策】を解除しない(利上げはしない)と日銀が約束することを検討してはどうか』
となります。
植田和男氏は「この方法で長期金利に低下圧力を加え、金融緩和の効果を高めることができる」と考えていたようです。
実際に植田和男氏の発言は実行され
当時の日銀総裁から「デフレ懸念がなくなるまでは、ゼロ金利政策を続ける」と発表されました。
植田和男氏のこのアイディアは後に「時間軸効果」と呼ばれるようになりました。
2つ目の注目発言・行動
2000年8月、日銀が政府の反対を押切り『ゼロ金利政策の解除』を検討した事について終始反対していた。
植田和男氏は当時の市場はまだ安定しておらず、『ゼロ金利政策』を解除することで
市場が不安定化する可能性があるためもう少し様子見をしたほうが良いと考えていました。
『ゼロ金利政策』の解除には金融政策委員9人のうち植田和男氏を含む2人だけが反対していました。
しかし日銀は『ゼロ金利政策』を解除し、その結果日本経済は悪化しました。
これら行動から植田和男氏はすぐ他人の意見に左右されるのではなく自分の意見に責任を持ち実行する人だと分かりますね。
その後も政府機関や民間企業に携わり2023年4月から第32代日本銀行総裁に就任しました。
戦後、日銀総裁に就任した人物はすべて日本銀行出身や財務省出身となっており
今回、初めて経済学者出身の人物が日銀総裁に就任しました。
海外では経済学者が中央銀行のTOPに就任することは珍しくはありません。
今までと異なる出身者が日銀総裁になった事でこれからの金融政策に注目です。
植田和男氏の教職以外の経歴
- 1985年〜1987年:大蔵省財政金融研究所・主任研究官
- 1998年〜2005年:日本銀行政策委員会・審議委員
- 2005年〜2008年:サントリー学芸賞政治・経済部門・選考委員
- 2008年〜2011年:日本政策投資銀行社・外取締役
- 2011年〜2012年:日本経済学会・会長
- 2019年〜:日揮ホールディングス株式会社・社外取締役
- 2023年〜:第32代日本銀行総裁
まとめ
今回は植田和男氏の学歴・経歴についてまとめてみました。
簡単な学歴・経歴図を見ただけでも植田和男氏はとんでもない人だとわかってしまいます。
これからの日本の金融政策に要注目ですね。
コメント