2024年8月現在、パリオリンピックが開催されており、陸上競技で競歩が行われておりました。
その競歩で、初オリンピック出場となった濱西諒という選手がおります。
普段スーパーの店員として働いているため、「歩くスーパー店員」と呼ばれる濱西諒さんのプロフィールや学歴を今回はまとめてみたいと思います!
いったいいつから陸上競技を始めたのか?またどうして競歩を選ばれたのか?
その辺りも紹介していきたいと思います!
濱西諒のwiki風プロフィール!
引用:JOC
- 名前:濱西諒
- 生年月日:2000年4月24日
- 出身:大阪府
- 所属:サンベルクス
- 最終学歴:明治大学
現在24歳の濱西さんは、中学校から陸上競技を始め、最初は長距離の選手でした。
スランプに陥り、記録が伸ばせなくなってきたときに、監督から競歩へチャレンジすることを勧められ、競歩へ転向します。
濱西諒の出身小学校はどこ?幼少期から陸上競技をしていた?
濱西諒さんの出身小学校は「大阪府豊中市豊島小学校」になります。
後述に詳しく記載していますが、小学校時代は『陸上競技』ではなく『野球』に熱中していたようです。
また豊島小学校では濱西諒さんのオリンピック出場に合わせて
8月1日に競歩20kmに出場する濱西さんの応援のため、パブリックビューイングが行われたそうです!
本日、14時30分ごろから行われる男子20km競歩に、豊中市出身の濱西諒選手が出場します!
出身校である豊島小学校でパブリックビューイングが行われます🎉
パリオリンピックへ挑む濱西選手をみんなで応援しましょう!
がんばれ濱西選手!#豊中市 #パリ2024 #オリンピック #競歩 #濱西諒 pic.twitter.com/zn3LJkDw82— 豊中市公式広報X(旧ツイッター) (@toyonaka_kouhou) August 1, 2024
豊島小学校
- 名称:豊中市立豊島小学校
- 住所:大阪府豊中市服部西町3丁目6-5
- 設立:1874年
- 種別:男女共学・公立
小学校のときは陸上ではなく、野球をしていた!
濱西さんは、小さい時から陸上をしていたわけではなく、実は野球少年でした!
地元の野球チームに所属し、ポジションは外野手だったそうです。
大阪で生まれ育ち、小学校では地元の野球チームで外野手だった。夢は甲子園出場。「当時の甲子園球場は外野席も無料だったので、よく友達と見に行きました」
引用:日刊スポーツ
ただ、甲子園に行く夢を持っていた濱西少年は『とある試合』を見て、その夢をあきらめたといいます。
『とある試合』とは小学校6年の時に見た
『地元の大阪桐蔭がエース・藤浪晋太郎さんとキャッチャー・森友哉さんのバッテリーで春夏連覇を達成した試合』だそうです。
この試合を観て『俺はこんな次元にはいかない』と思い、聖地・甲子園で躍動する姿を想像できなかったといいます。
「俺、こんな次元にはいかないだろうな」
引用:日刊スポーツ
濱西諒の出身中学はどこ?中学時代は長距離に挑戦していた?陸上成績は?
濱西諒さんの出身中学校は「豊中市立第四中学校」です。
中学時代は『野球』と『陸上』の両方を行っていたそうです。
当時、『学外の野球チーム』に所属しながら、『学校では陸上部』に入部していました。
豊中市立第四中学校
- 名称:豊中市立第四中学校
- 住所:大阪府豊中市服部本町4丁目5-7
- 設立:1949年4月1日
- 種別:男女共学・公立
中学生時代は長距離の選手だった!成績が良くなるのが楽しくて陸上への専念を決断した?
濱西さんですが、中学校から陸上競技をスタートしました。
当初は『野球』と『陸上』を両立し、『長距離走』をメインに活躍していました。
しかし中学2年生時に「長距離のタイムが縮まっていくのが楽しい」という気持ちが強くなり『陸上に専念する』ことを決めたそうです。
その後、数々の大会で良い成績を納めます。
更に駅伝での結果が目に留まり、『履正社高校』への推薦入学が決まります!
濱西諒の出身高校はどこ?高校時代に競歩に転身していた?陸上成績は?
濱西さんの出身高校は「履正社高校」です。
履正社と言えば、野球が甲子園に出場することもある強豪校ですよね。
上述にもありますが、『駅伝の成績』により推薦入学しています。
また現在のメイン種目である『競歩』は高校生時代からスタートしているようです。
履正社高等学校
- 名称:履正社中学校・高等学校
- 住所:大阪府豊中市長興寺南4丁目3-19
- 設立:1922年3月31日
- 種別:男女共学・私立
長距離で挫折を味わい、高校時代に長距離から競歩へ転向を決意した?
高校に入ってからも、長距離選手として活動していた濱西さんですが、
『入学後、スランプに陥り』3000mでの記録が思ったように伸びず、『同学年で10人中8番目』という結果がでない日が続きました。
なかなか大会にも出場できず、苦しい日々を送っていた濱西さんに『浜崎弘監督から勧められたのが競歩』でした。
当時の濱西さんは競歩のルールを知らず『長距離のあこがれ』もあったため『気乗りしていなかった』ようです。
しかし、いざやってみると競歩の魅力に気づいたといいます。
濱西さんは、コツコツと練習を重ね、競歩に向いていると気付いたそうです。
「地道なことを続けるのは向いている」
引用:日刊スポーツ
その後、着実に実力をつけていくことになります。
そして、2017年に行われた大会『日本選手権ジュニア男子10km』で同世代で10位!
『アジアユース選手権1万メートル』では4位となり、わずか1年足らずで競歩の才能が開花しました!
高校3年時の国体では『ジュニア男子5000メートル競歩部門』で見事に優勝!
同世代でトップとなり、また競歩のトップアスリートとしても仲間入りを果たすことになりました!
濱西諒の出身大学はどこ?大学時代の陸上成績は?
濱西さんの出身大学は「明治大学 文学部・史学地理学科」です。
明治大学文学部の偏差値は『60.0〜65.0』となっています。
陸上競技だけでなく勉強も両立していたことが分かりますね!
濱西さんは大学でも陸上部で競歩を続けています。
ちなみに、明治大学陸上部で『競歩』を選考した同期は濱西さんたった1人だったそうです。
明治大学文学部
- 名称:明治大学
- 住所:東京都千代田区神田駿河台1丁目1
- 設立:1881年
- 種別:私立
濱西諒の競歩伝説は大学時代から始まった!他を寄せ付けない圧倒的強さだった!
高校で実績を残し、名門・明治大学の陸上部競歩部門に入部した濱西さん。
陸上部に入ったとき、競歩部門に同世代はおらず、濱西さんたった1人しかいませんでした。
そのため、入学当初は1人で練習することが多かったそうです。
しかし、大学入学時に掲げた『世界で活躍する選手になること』という目標に向かい、黙々と練習をしていたそうです。
その後、徐々に競歩部門の先輩や他の部門の選手と打ち解け、なじむことができたそうです。
そんな中、大学2年生時に新型コロナウイルスの影響により生活様式が一変したのですが、練習の時間はうまく確保し練習を続けます。
自身の目標のために努力を惜しまないという凄さが分かりますね。
その結果、競歩10000mや20km部門で自己ベストを更新し、大会でも入賞成績を納めていきます。
- 大学3年:全日本学生対校選手権では7位入賞
- 大学3年:関東インカレで2位
- 大学3年:全日本インカレで3位
- 大学4年:関東インカレで優勝
- 大学4年:全日本インカレで6位
- 大学4年:国体で3位
努力を続け、結果を残すなんて本当にすごいですね!
ただ、その間にケガや体調不良に悩まされ、日本代表に入ることがかなわず『引退』を考えたことがあったそうです。
それでも、「高2のアジアユースの4位はずっと悔しかった。もう1度、日の丸を背負いたい」という思いから、競歩を続けることを決めました。
「高2のアジアユースの4位はずっと悔しかった。もう1度、日の丸を背負いたい」
引用:日刊スポーツ
そして、『学生生活ラストレース』となった能美競歩では『全日本8位』『学生5位』の好成績を残し、自己ベストも更新する結果となります。
明治大学1年の時から実力をつけ、エースとしてチームを引っ張っていった濱西さん。
「明大で本当にいい4年間を過ごすことができた」と語った濱西さんは、現在はスーパーの店員として働きながらも競歩を続けています。
おまけ:濱西諒の主な陸上成績
最後におまけとして、濱西さんの陸上成績について紹介しておきましょう。
学生時代
- 日本選手権ジュニア男子10km同世代 10位
- アジアユース選手権1万メートル 4位
- ジュニア男子5000メートル競歩部門 優勝
- 全日本学生対校選手権 7位
- 関東インカレ 2位
- 全日本インカレ 3位
社会人時代
- 2022年 日本選手権 26位
- 2022年 高畠競歩 4位
- 2023年 能美競歩 8位
- 2024年 日本選手権 2位
- 2024年 オリンピック 18位
まとめ
今回は、スーパー店員と競歩選手の2足の草鞋を履く濱西諒さんについて紹介してきました。
小さいころから陸上をやっていたわけではなく、最初は野球で甲子園を夢見ていました。
しかし、自分は野球で輝くことができないと悟り、陸上も始めることになったことが転機となったようですね。
長距離選手から競歩の選手になり、実力をつけ、実績を出したことで、今回のパリオリンピックに出場することができました!
結果としては残念でしたが、この経験を糧に、これからも活躍してほしいところですね!
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