高見のっぽさんはNHKの子供番組「できるかな」で20年以上出演されてきました。
一切しゃべらないキャラクター「ノッポさん」で有名ですよね。
お子さんのいらっしゃる家庭では長く親しまれていたかと思いますが、自身の2023年5月10日に高見のっぽさんが亡くなっていることが公表されました。
亡くなったのは、昨年9月10日で高見さんは当時88歳でした。
死因は心不全だそうですが、今の今まで非公表だった理由が「周囲を騒がせたくないので、死後半年以上伏せてほしい」
という生前のご本人の希望だったそうです。
今回は、そんな高見のっぽさんの気になるプライベートについて調べました。
高見のっぽさん家族構成は妻と息子の3人!
- 高見のっぽさん
- 奥さん
- 息子
(オフロスキーこと小林顕作)←デマ情報 - 父親
- 母親
- 兄弟(兄3人、弟2人)
高見のっぽさんの家族について調査してみると
家族の詳細は公表されておらず、一般的に知られているのは『奥さん』のみとなっていました。
高見のっぽさんは「ノッポさん」の役作りのために、最終回までしゃべらないキャラクターを演じきる他、
イメージを崩さないようにプライベートもほとんど明かす事がありませんでした。
高見のっぽさんの家族については本当に謎が多いようです!
また、息子は、『NHKのEテレ「みいつけた!」でおなじみの「オフロスキー」こと小林顕作さんなのではないか』
と言う噂が出回っています。
しかし根拠がなく、デマ情報だそうです。
その他に、父親・母親・兄が3人、弟が2人いるとの情報がありました。
高見のっぽさんの家族について調べて分かったことを紹介していきますね!
高見のっぽさんの嫁はどんな人?
高見のっぽさんは結婚していて嫁がいます。
詳細な情報は見つけることが出来ませんでしたが、25歳で結婚したとインタビューで話しています。
25歳で結婚したカミさんが働いていたので、食べてはいけたけれど、暗い毎日でした。
(引用:婦人公論.jp)
高見のっぽさんのお嫁さんは働いていたとのことですが、それ以上詳しい事はわかっていません。
ただ、ネット上で嫁は薬局を経営しているという噂があります。
RIPノッポさん。何と我が町内薬局(母校小学校前)に住まうご近所さんという事を知ったのはまさにTVでご活躍中の折り。普段着で自転車に乗られる高見さんのお姿を頻繁にお見かけしながらも話しかけずにいたのは、子供心に喋るノッポさんの姿を見たくなかったのだろう… pic.twitter.com/6tRhxVIZXd
— おく☆けん (@TOKEIWOTOMETE) May 10, 2023
ノッポさん池袋で薬局屋さんやってましたね。
— 根賀倉 荘(ねがくらそう) (@hakofugu1004) May 10, 2023
ノッポさんも小学校の裏の薬局の上に住んでたんだけど、なにあの辺の地域NHKでオススメでもされてたの?
— Mine@5y👦🏻👑♡2y👧🏻🎀 (@MiM04MiM) January 1, 2019
他にもいくつか同じようなツイートを発見しました。
噂通りで行くと、高見のっぽさんのおうちは嫁が薬局を経営していて、その2階に家族で住んでいたということになりますね。
ツイートしている人のプロフィールを見ると東京に住んでいる人ばかりなので、共通点があり一貫性があるように感じます。
ですがツイッターは匿名で投稿できるものなので、証拠にするには薄いですね…
あくまで噂のままにとどめておきましょう。
高見のっぽさんの息子はどんな人?
上述でも紹介した通り、高見のっぽさんの家族で一般的に知られているのは嫁だけで、息子の情報はありませんでした。
NHKのEテレ「みいつけた!」でおなじみの「オフロスキー」こと小林顕作さんが息子だという噂もあります。
しかし、断定できる情報がなくデマ情報だったようです。
『小林顕作さんが息子』という噂が流れた原因はこの写真のようです。
左が高見のっぽさん、右が小林顕作さんです。
この写真で「高見のっぽさんと小林顕作さんが似ている!」と話題になりました。
たしかに…くりっとした目や親しみやすい表情が似ているようにも見えますね…
出演していた番組が同じNHK番組だったことも相まって「二人が親子なのではないか?」という噂が流れたようです。
二人とも子供から人気なのが納得の優しいお顔ですよね!
しかし、高見のっぽさんと小林顕作さんが親子関係という情報はありませんでした。
小林顕作さんのお父さんについて調べてみると、
小林顕作さんのお父さんは『童謡作詞家の小林幹治さん』だということがわかりました。
父は童謡の作詞家である小林幹治。既婚。2児の父。
(wikipediaより引用)
高見のっぽさんの父親はどんな人?
- 名前:高見嘉一
- 芸名:柳妻麗三郎(やなづま れいざぶろう)
- 松旭斎天秀(しょうきょくさい てんしゅう)
- チャーリー高見
- 職業:芸人、俳優・奇術師
高見のっぽさんは父親のカバン持ちをしながら修業を積み、芸能界の世界へと足を踏み入れたそうです。
どうやら高見のっぽさんの本名の「高見嘉明」の字は父親の名前から一文字譲り受けたようですね。
高見嘉一さんの生まれは熊本県とのことです。
高見のっぽさんの父親は九州男児タイプで厳しい人なのではと思ってしまいます。
しかし、実際はその逆でとても優しい父親だったようです。
24歳でショーの舞台を踏んだが、食えない日々が続いた。不遇の時期を支えたのは、幼少期の父との記憶だった。
小さなのっぽさんに対し、父は「あなたはできる子です」と認め続けてくれていた。かつての「できる子」は、30代後半となり、「できるかな」で大きく花を咲かせた。
(引用:スポーツ報知)
なんて優しい言葉でしょうか!
小さいときに親に言われた何気ない言葉って、案外ずっと心に残っていたりするものですよね。
高見のっぽさんは長い間仕事のない時期が続き、自殺を考えた時もあったそうです。
しかしそんな追い込まれた時期にも幼少期のこの言葉に支えられ、努力して、大きな花を咲かせることが出来たんですね。
また、高見のっぽさんは父親についてこうも語っていました。
オヤジさんは不思議な人でした。私を天才だと思い込んでいたんですよ(笑)。
だから、私が作詞した詞がシンフォニーになって立派なオーケストラで演奏されると報告しに行っても、褒め言葉ひとつないの。
ヘンな顔をして「あなたなら当然でしょう。もっとできるでしょう」と言うんです。
ちなみにオヤジは私のことを「あなた」か「嘉明ちやん」と呼びました。呼び捨てにされたり、
「あんた」と呼ばれたことは一度もありません。
(引用:婦人公論.jp)
子供の意思を尊重する素敵な父親だったんですね。
少しおどけた表現をしていますが、どんな時も自分を信じ続けてくれる存在は、何かあった時にもとても心強いと思います。
自分もそんな親になりたいものです。
そんな優しい父親ですが、母親と駆け落ちをしたとのことですから驚きです。
この話は後述の母親の方でお話します…
高見のっぽさんの母親はどんな人?
高見のっぽさんの母親はすでに亡くなられています。
名前はキンさん。
由緒正しき東京・国技館の相撲茶屋に生まれ育った4人姉妹の三女で、おキンさんと呼ばれる方だったそうです。
そんなお嬢様のキンさんは父親の嘉一さんに一目ぼれしたそうです。
家族の猛反対を押し切り駆け落ちしたそうです。
そんな高見のっぽさんの母親ははっきりものを言う性格だったそうで、4歳ののっぽさんが作ろうとした模型飛行機の失敗作を見て、]
「あんたみたいなぶきっちょな人はみたことないわ」と笑ったり、
変声期ののっぽさんが無理して歌った声を聴いて「オンチ!」と一言。
なんとも強烈なエピソードですね(笑)
のっぽさんはこれらの発言などから「母は一言多かった」と話していますが、そんなはっきりものを言う母親だからこそ、教育にも芯が通っていたようで
「人前では騒がない、先生の言事はよく聞く、人を傷つけない、人のものをとらない」
と常に言い続けていたとのことです。
このように時に厳しくも明るく、のっぽさんを含めた4人の子育てを終えたおキンさんは104歳までのっぽさんを見守り続けてくれたそうです。
今頃のっぽさんとおトキさんが笑いあっていたらいいなぁなんて思います。
高見のっぽさんの兄弟はどんな人?
高見のっぽさんは6人兄姉の4番目となっていますが、名前や年齢差などの詳細は明らかになっていません。
しかし、兄・姉とは年が一回り程離れていたようで、相当かわいがられていたようです。
母親と姉は「ガンバレ、ガンバレ」と言い続けました。兄貴は弟に敬意を表していましたね。文句を言われたり、「あれをやれ」と指示されたことは一度もない。
(引用:週刊エコノミストOnline)
兄弟のエピソードはこのぐらいで、弟や妹のエピソードは見つかりませんでした。
しかしこれだけきっと素敵なご両親、兄姉に囲まれているので、きっと妹か弟も仲が良かったのではないかと思います。
まとめ
高見のっぽさんの家族で明らかになっているのは25歳の時に結婚したお嫁さんのみで子供の有無はわかりませんでした。
しかし、インタビュー記事で「子育ては親の覚悟」と発言していたこともあり、もしかすると子育ての経験があるのかもしれないなとふと思いました。
高見のっぽさんは子供のことを「小さい人」と呼ぶのも有名ですよね。
子供に敬意を払って、誠実に接する姿は「ノッポさん」としてだけでなく、父親・母親から譲りうけた子育てのバトンなのかもしれません。
高見のっぽさんのご冥福をお祈りすると共に、親として、人として素晴らしい考えを継承していければと思います。
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